したいことがわからないのはなぜか
大学生になってから、「将来の事」を考えたり、友達と話をする機会が増えたような気がします。
これまで、小学校、中学、高校と、ほとんど周りの皆と一緒に同じ階段を登ってきた感覚がありましたが、
大学というものを卒業すると、そこからは一緒の階段を登ることはなく、自分で自分の道を今までよりも明確に決める必要がでてきたからでしょうか。
そんななかで、同世代の人達から、「自分の好きな事とか将来したい事とかが見つからないんだよね。」というようなことをよく聞きます。
学生の間に何かに取り組もうとしても、
「自分が楽しいと思えないから、本気になれない。」
とか、
「わからないから、やらない」
とか、
「興味があるものがわからないから、行動しない」
とか。
こういうことを聞いて、物凄く違和感を感じます。
これ、全部逆じゃないのかな。と。
楽しくないから本気でしないというのは、本気でしないから楽しくないのであって、
わからないからやらないというのも、興味があるものがわからないから行動しないというのも、やらないからわからないのであって、行動しないから興味がでないのではないでしょうか。
こう思うようになったのも、
実際、つい最近まで、将来のことを考えた上で、何の特技もスキルもない自分に焦りを抱いていた自分がいて、
とりあえず何かしら自分の武器、スキルを身に付けたいなあと思ったときに、一つの案として「プログラミング」というものがでてきました。
プログラミングというものを始めようと思った具体的なきっかけはここでは省略させてもらいますが、
もちろん始めは本当にきつくて、決して「楽しい」と思えるようなものではありませんでした。
それでも、当初決めた毎日続けるというルーティンは崩さず、毎日全力で取り組み続けることで、ゆっくりではありますが段々と楽しく感じるようになり、
いまでは毎日常に、あの機能はどうやったら実装できるのかなとか、早くコードを打ちたいなとか、文字通り、はまり込んでしまったのです。
これは、どんなことでも通ずることだと思います。
例えば、何かスポーツを始めたくて、単なる好奇心で野球を始めたとします。
始めは、思うようにできなかったりして、楽しいと感じることはなかなか難しいと思いますが、それでも練習を重ねることによって、段々と思い通りに体が動くようになったりして、すこしずつ楽しいと思えるようになるんだと思うのです。
要するに、興味があるものがわからないから行動しないとか、自分が楽しいと思えないから、本気になれないとか、わからないからやらない、とかではなく、
自分の好奇心にしたがって、まず行動を起こし、一度本気で取り組んでみないと、自分の好きなことなんてずっと見つからないのではないでしょうか。
自分の好奇心から始めたことなら、ちょっとした困難にぶつかっただけでやめてしまうのではなく、そこを頑張って乗り越えることによって、また見えてくる景色もあると思います。
わからないからやらないのではなくて、やらないからわからないのです。
僕自身も、これから先、ずっとプログラミングを続けていくなんて分からないですが、
様々な壁にぶつかることがあってもめげずに乗り越えてどんどん楽しめたらいいなと思います。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。