O社でインターンしてきました
某ネットを空気に変える会社、O社でソフトウェアエンジニアとしてインターンシップに参加してきました。
社名を出せない理由は察していただけると幸いです。
O社を知ったきっかけ
もともとはTwitterに流れてくる広告で名前を知っていたのですが、夏のインターン先を探していた時に公式サイトを拝見してみるとITをさまざまな業界と組み合わせて社会に大きな影響を与えていることを知り、自分自身のやりたいことと一致しているような気がしたのがエントリーしたきっかけとなりました。
選考の流れ
まず、O社はサマーインターンシップの募集を大々的に行っっているみたいで、専用のリクルートサイトのようなものがあり、そこからまず書類選考があります。
そのあと、45分1対1の人事面接、同じく45分2対1の技術者面接がありました。
インターンシップ内容
インターンシップでは、自社オープンソースプラットフォームに溜まったアクションログを利用し、ユーザーや管理社向けにログイン履歴管理アプリの作成を行うというものでした。
インターンでは他のインターン生と二人でチームを組み開発を進めていくというもので、本来、溜まったログをデーターベースにインサートしたり、それらを元にバック側でAPIを作成し、それをなんとかしてフロント側の画面で表示するというように、タスクは山ほどあったのですが、
ほぼ第一タームだったこともあり、僕たちは、その中でもAPIの仕様設計、仕様書作成、モックAPIの作成、実装、表示画面の設計、実装というものになりました。
僕はAPI側、もう1人のインターン生はインターフェース側という風に役割分担して進めました。
その時のバックエンドの仕様技術はnode.js, フロントエンドはvue.jsでした。
感想
正直、初日から完全な業務をさせてもらえたことに驚きました、わからないことだらけではあったものの、メンターに書籍を貸していただいたり、もう1人のインターン生に手伝ってもらいながらAPI仕書の設計をしたり実装ができたのは、本当にいい経験で、先月の自分はAPIとは何か?というレベルだったのが信じられないくらい、自分としても満足度は高かったです。
やはり、プログラマーとして生きていると、全く経験のない業務を高いレベルで求められるということがよくあるのだと実感できたと共に、悲観的にならずにそのような自分のレベルに見合っていないような業務にも果敢に取り組んでいくのが成長していく上で重要なのだなあと実感できました。
最後に
プログラミングというものを学び始めてから、今月初めて複数社のインターンに参加したのですが、やはり一番に得られたものは刺激だったと思います。
インターンシップは基本的に同じ業界を目指す優秀な同世代が集まることのできる数少ない場所、機会のひとつで、どのインターンシップでも選考を乗り越えてきた優秀な学生が集まり、その実力に圧倒されることがほんとうに多かったです。
あまりの実力差に気が重くなりすぎることも何回かありましたが、今となっては本当に貴重な経験だったと思います。
この経験をバネに、この夏に出会った様々な優秀な同世代の方々とこれから対等に
戦っていけるようになろうと決意ができたりと、大きなモチベーションにつながりました。
一年後くらいにはもう少し強いエンジニアになれるよう、日々精進しようとおもいます。
チームラボのインターンに行ってきた(エンジニア)
7月29日から8月9日までの2週間、デジタルアートミュージアムで有名なチームラボでWebエンジニアとしてインターンシップに参加してきました。
今回はそのインターンシップの選考から内容まで大まかに書いていけたらなあと思います。
チームラボとの出会い
やはりチームラボというと、ボーダレス(お台場)とプラネッツ(豊洲)のデジタルアートミュージアムが有名だと思います。
僕自身もチームラボのミュージアムにずっと興味をもっていて、次東京にいく時は必ず行こうと思っていました。そんな中、大学も長期休暇を間近にして、インターンシップ先を探してると、チームラボでwebエンジニアのインターンの募集がかかっているのを見つけました。
そこのリクルートページで書かれていた「ウルトラテクノロジスト集団」というキャッチコピーに惹かれ、真っ先にエントリーしました。
選考
チームラボの選考は、書類選考、web診断テスト、面接複数回と一般的なフローで、僕の場合面接は一回だけでした。
この回数は人によって大きく異なるみたいで、3回くらい面接があった人もいたみたいです。
面接では、技術面の質問とそれ以外の質問が半々くらいで、なんとなく技術面よりも人間性の方が重視されているような気がしました。
インターンシップの内容
今回のインターンシップで僕はCMSチームに所属され、内容は他のインターン生と2人でチームを組み、チームラボが独自で開発しているCMSにおけるメール送信APIの作成をPHPで実装するというものでした。
単にメール送信APIを作成するといってももともと仕様さえ決まっておらず、仕様を考え仕様書を作成するところから、色々なメール配信クラウドプラットフォームの調査、送受信テストなど、やることは意外と結構ありました。
本来このメールAPIの作成が今回のインターンシップの全ての内容だったみたいですが、一緒に組んだインターン生が強すぎて1週間足らずで終わってしまったこともあり、後半の1週間は他チームが行っていた独自プロダクトの作成を行いました。
この独自プロダクトの作成はチームラボの新卒研修でも採用されているみたいで、みんなそれぞれ個性が出た作品を作り上げていて、とても楽しかったです。
インターンシップを通しての感想
チームラボでの2週間は本当に充実したものでした。
スキルアップができたのももちろんですが、何より他のインターン生が皆本当に優秀でいい人ばかりで、そんな方たちと深い仲になれたことが本当によかったです。
特に、同じチームにいたインターン生たちとは、ほぼ毎日ランチや晩御飯に行き、開発も一緒に取り組んでいたため、とても仲良くなれました。
また、期間中はオフィスから徒歩7分のホテルを提供してくださったり、
インターンシップの一貫として、チームラボボーダレスの見学をさせてもらえたり、毎日メンターとランチに行けたり(ランチ代支給)、懇親会をひらいてくださったり、その上給料がでたりと、すばらしい待遇でした。
メンターの皆さんも今年新卒で入社していた方が多く、年齢が近かったのでとても親しみやすかったのもよかったです。
本当に自由な社風で、オフィスも床がデコボコだったりとても面白いので、興味のある方には是非一度インターンシップに参加することをおすすめしたいです。
(チームラボボーダレス見学時の写真)
平成最後の自己分析 『理想の自分』
こんにちは。
4月になり、大学入学、就職など、みなさん様々な環境の変化が多い時期だとおもいます。
僕自身も、先月カナダから帰国し、2年間休学していた大学に復学するということもあり、これまでの生活からは大きな変化があります。
そんな環境の変化がある時期だからこそ自分自身について改めてじっくり考えて直し、そのことについてnoteに書き残しておこうとおもいます。
最後まで読んでもらえると嬉しく思います。
何が自分にとって楽しいのか。
学生であろうと社会人であろうと、誰しも人生は楽しく送りたいものです。そんな中、一体自分はなにをしている時に、どんなものに対して『楽しい』という感情を抱くのかということについて少し考えてみました。
結論は意外と簡単に出て、それは、
『理想の自分を追いかけているとき』
というものでした。
少し説明させてもらいますと、
皆さんもそうだと思いますが、僕は自分の中に理想の自分というものが存在します。
具体的に『誰』というわけではなく、今まで出会ってきた人々、人生を通して経験してきたことなどの全てを総括して自分の中に出来上がった、『ありたい自分』のようなものです。
皆さんにも様々な『ありたい自分』のようなものがあるとおもいますが、僕の場合はたまたま、『自分に誇れるもの(武器)があり、社会や人々により影響を与えられる人』というものでした。
前回の記事でも触れましたが、僕は将来自分の会社を持ち、社会によりインパクトを与えられる人間になるという目標を持っています。そこに向けた自分なりのキャリアパスを持ち、今しなければいけないことに落とし込み、そこに焦点を置いた生活を送っています。
ですが、ありたい自分を追いかけることを辞めること自体が怖いというのもあります。もし完全に辞め、理想の自分を無視してしまうと、自分のことを好きではなくなり、自分で自分の自尊心下げてしまう気がするのです。
楽しい時間のバランス
自分の楽しいと感じる対象が『理想の自分を追いかけているとき』だと先述しましたが、もちろんそれだけというわけではありません。
友達のお酒を飲みながら時間を過ごすことも大好きですし、旅行にいくことだって大好きだし、楽しいです。
しかし、友達と毎日のように飲み歩き、そのような状態で旅行にもよく行くような生活が続くと、ずっと楽しいと感じられるような気はしません。たとえ働かずにそのような生活がずっと続けられとしてもです。
というのは、先ほど述べた『理想の自分』というものを無視した生活を送っているからであり、そのような生活を送っていると自尊心と共に幸福度もみるみる下がっていく気がするのです。
要は偏に楽しいの感じる時間といっても、人生の限りある時間においてそれらの時間をどんなバランスで配置するのかというのが重要になってくるというわけで、はじめに『理想の自分を追いかけている時間』が自分の楽しい時間だと述べたのは単に、それがバランスの中で一番大きな割合を占めていたからということだけのことです。
もちろん今のように、プログラミングに集中する生活のみを送り続けるというのも然りで、それだけの生活を送っていると僕もそのうち楽しくなくなっていくと思います。
まとめ
知ったようなことをつらつらと書きましたが、僕自身、まだまだ頭も、物事の考え方もとても未熟で浅はかだということは重々承知しています。
10年も経つとこの記事自体がいわゆる黒歴史のようなものになると思いますが、今年で21歳になり本格的に社会人に近づき、また平成も終わりに近づくと共に、新たな時代を迎えようとしています。
自分が生まれた時代の最後の月に今の自分の考え、価値観などをあえて文字にして残しておきたかったというのもあります。
5年、10年経ったときにこの文章を見直し、自分がどのように変わったのかをまた見つめなおせるのを楽しみにして今回はこれくらいで終わりにしておこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
自分を確立することのむずかしさ
モントリオールではとうとう雪が降り始めました。
雪の降る地域で生活をしたことのない私は、来たるカナダの冬に怯えながらこの記事を書いています。
私たち日本人は、基本的に小学校、中学校、高校、大学、それから就職という流れで社会に排出されていきます。
小学校、中学校、高校、大学では、みんなが決まった基準、「成績」というもので評価され、
中学校では、高校受験、
高校では、大学受験、
大学では就職活動
一般的にこれらを目標に勉学に励むことが多いと思います。
学校の授業では「ここテストにでるぞ〜」とか、「ここ受験で頻出だぞ〜」とか、こういったことしか先生は言っていた記憶が私にはよく残っています。
しかし、テストでいい点をとりいい成績をとることを生徒全員の目標として縛り付けるのは、生徒それぞれののもっと大事な部分を育てる機会を奪っている気がします。
なにか人間の人間的な部分、クリエイティブな部分や個性のようなもの?
ただ受験に成功すればいい、テストでいい点をとっていい成績を残せればいいというような空気が学校でのあたりまえとして生まれていて、生徒はそれを目標としてめざすと同時に、それぞれが本当のしたいことなどを考える必要性を抹消している気がするのです。
これらのあたりまえを無視し、自分の好きなことだけを追い続けようとすると、学校の勉強をしなさい!と先生や親から言われ、、いい実績を残した人が褒められ、讃えられるような環境自体が人の個性を育くむ上でとても障害になっている気がするのです。
そういう観点からみてみると、中学、高校というのはすごく楽に感じられないでしょうか。
というのも、自分が生きていく道、歩んでいきたい道を考えなくとも、学校の勉強をして、一般的に自動的に決められた「受験」という道を目指しさえすればいいからです。
もう少し自分と向き合う機会を中学や高校で設けられるいいのになあと思います。
もちろん全員がそうではありませんが大学生が勉強をあまりしないといわれているのも、大学のシステムや日本の学歴社会というものだけでなく、この名残りがあるからだと私は思います。
大学を卒業すると、これまでのように受験というようなみんなが決まってめざすような道はなく、本当に自分がどのようにいきていきたいかをしっかりと考えないといけません。
しかし、中学、高校時代にそのような自分と向き合う習慣をつけられなかった、つける必要がなかったがゆえに、自分と向き合うことの必要性をみつけることができなくて何も考えられず、大学ではこれまでどうり学歴を残すということのためだけに勉強をし、あとは飲み会などで遊び呆けてしまうのだと思うのです。
しかし、人は十人十色で、自分がしたいことと周りの人がしたいことというのはもちろん違うものです。
そしてそれを見つけることができるのは自分しかいません。
すでに存在する自分を見つけるのは、自分にしか答えがないもので本当に難しいことだと思いますが、自分と向き合うことをせず、受動的に生きていくと就職の次に見えるものは定年しかありません。
こんなことを書きながら最近はブラジルの伝統ダンス、“forró”にはまりまくっている20歳でした。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。
初めて日本から出てみて、
皆さんお元気ですか?
モントリオールは10月にしてすでに日本の真冬くらいの寒さになり、私は行きつけのコアワーキングスペースのカフェで暖房の熱さに耐えながらこの記事を書いています。
早くもモントリオールにきて半年と少しが経ち、最近ふと思い出したことがあります。
私がカナダに来る前、知り合いやバイト先のお客さんによく、
「留学なんて行く前に日本の良さをもっと知りたったほうがいい。」とか、「海外を美化しすぎているんじゃない?」などと言われたことです。
確かに最近日本人は、みんなが好きなように生き、よりストレスフリーな社会を生きているような偏見のある海外特に北米などを美化しているのかもしれませんが、私は決してこれらの言葉に頷くことができませんでした。
というより、日本の良さを知るために日本で人生経験をもっと積んだ方がいいという考え方自体に賛同することができなかったんです。
そもそも自分の中で当たり前になっているものの良さや普段見えない部分っていうのは、自分の中で当たり前じゃなくなってからやっと見えるようになるものなのではないかと、
要するに、日本に住み続けるのではなくて、海外に行き日本の生活が当たりまえじゃなくなることによってより日本の良さ、住んでいるだけではなかなか見つけられない部分というものが見えてくるのだと思うんです。
実際にカナダに来ると、24時間営業のコンビニ、ワンコイン以下で食べられる牛丼チェーン、店員の素晴らしい接客態度、街の綺麗さなど、日本での当たり前はありません。
それにもちろんですが、海外で生活することによって気づくことができるのは決して日本のよさだけではありません。
日本にはあって海外にはないもの。
海外にはあって日本にはないもの。
生まれ育った環境をはなれ、そういうものを身を以て経験し、視野を広げることはその先の人生をより幸せに生きていくためのヒントになる気がします。
生まれ育った環境を飛び出そうとしている人に対して批判の言葉をあびせ、日本への愛をそれほど見せられても私の頭に浮かぶのはまるで地元からなかなか身を出そうとせず「地元最高!!」と雄たけびをあげる地元Loverだけです。
要するに他人の批判はやめましょう。一回海外に行って住んでみましょう。その先の人生を変えるかけがえのないきっかけになりうると思いますという記事でした。
というわけで私は今から家に帰って晩御飯でもたべて寝ようと思います。
ではまた次の記事で。
したいことがわからないのはなぜか
大学生になってから、「将来の事」を考えたり、友達と話をする機会が増えたような気がします。
これまで、小学校、中学、高校と、ほとんど周りの皆と一緒に同じ階段を登ってきた感覚がありましたが、
大学というものを卒業すると、そこからは一緒の階段を登ることはなく、自分で自分の道を今までよりも明確に決める必要がでてきたからでしょうか。
そんななかで、同世代の人達から、「自分の好きな事とか将来したい事とかが見つからないんだよね。」というようなことをよく聞きます。
学生の間に何かに取り組もうとしても、
「自分が楽しいと思えないから、本気になれない。」
とか、
「わからないから、やらない」
とか、
「興味があるものがわからないから、行動しない」
とか。
こういうことを聞いて、物凄く違和感を感じます。
これ、全部逆じゃないのかな。と。
楽しくないから本気でしないというのは、本気でしないから楽しくないのであって、
わからないからやらないというのも、興味があるものがわからないから行動しないというのも、やらないからわからないのであって、行動しないから興味がでないのではないでしょうか。
こう思うようになったのも、
実際、つい最近まで、将来のことを考えた上で、何の特技もスキルもない自分に焦りを抱いていた自分がいて、
とりあえず何かしら自分の武器、スキルを身に付けたいなあと思ったときに、一つの案として「プログラミング」というものがでてきました。
プログラミングというものを始めようと思った具体的なきっかけはここでは省略させてもらいますが、
もちろん始めは本当にきつくて、決して「楽しい」と思えるようなものではありませんでした。
それでも、当初決めた毎日続けるというルーティンは崩さず、毎日全力で取り組み続けることで、ゆっくりではありますが段々と楽しく感じるようになり、
いまでは毎日常に、あの機能はどうやったら実装できるのかなとか、早くコードを打ちたいなとか、文字通り、はまり込んでしまったのです。
これは、どんなことでも通ずることだと思います。
例えば、何かスポーツを始めたくて、単なる好奇心で野球を始めたとします。
始めは、思うようにできなかったりして、楽しいと感じることはなかなか難しいと思いますが、それでも練習を重ねることによって、段々と思い通りに体が動くようになったりして、すこしずつ楽しいと思えるようになるんだと思うのです。
要するに、興味があるものがわからないから行動しないとか、自分が楽しいと思えないから、本気になれないとか、わからないからやらない、とかではなく、
自分の好奇心にしたがって、まず行動を起こし、一度本気で取り組んでみないと、自分の好きなことなんてずっと見つからないのではないでしょうか。
自分の好奇心から始めたことなら、ちょっとした困難にぶつかっただけでやめてしまうのではなく、そこを頑張って乗り越えることによって、また見えてくる景色もあると思います。
わからないからやらないのではなくて、やらないからわからないのです。
僕自身も、これから先、ずっとプログラミングを続けていくなんて分からないですが、
様々な壁にぶつかることがあってもめげずに乗り越えてどんどん楽しめたらいいなと思います。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。
合う人合わない人
これまで20年間生きてきて、本当に色々な人に出会ってきました。
そんな色んな人の中には、合う人合わない人というのがあります。
合う人というのは、なぜか一緒にいて落ち着けたり、ふとした時に会いたくなってしまうような人。
合わない人というのは、初対面という訳でもないのに、中々距離感が縮まることがなく、コミュニケーションを取る際に息苦しく感じてしまったり、なんとなく一緒にいて居心地が悪かったりする人。
そんな、合う人というのは、自然と自分のことを好いてくれる人が多く、よくサシで飲みに誘ってくれたり、色々な踏み入った話をしてくれたり、することが多いです。
逆に合わない人というのは、自分のことを好いてくれる人が少ない気がします。
自分が合わないなあと思っているということは、相手もそう思っていることが多いということなのかもしれません。
合う人合わない人というのは誰にだってありますよね。
ここで私は、合わないと思う人、一緒にいて息苦さを感じる人と一緒にいる必要なんてないということをしっかりと把握しておくのが大事だと思います。
人生という限られた時間のなかで、幸せを感じることのできない人と時間を過ごすことって残念だし、自分の心にも優しくない気がします。
それが仕事場などで、いたくなくても一緒にいなければいけないというならまだしも、私のようにまだ学生だと言う人は特に、一緒にいる人を縛る必要は全くないのです。
むしろ私はこのまま大学を卒業しても、合わない人と感じるよ人と一緒にいなければいけないような環境は出来るだけつくりたくないと思っています。
何かを頑張るにしても、何もせずにただ一緒にいるにしても、合う人と生きていきたいです。
最近、少なからず自分のことを好いてくれる人がいることが本当に嬉しいことだと改めて実感し、この記事を書き始めるに至りました。
自分のことを好いてくれるような人は本当に大切にしないといけないですよね。
親しき仲にも礼儀あり、です。
一緒に居て居心地がいいと、その人への敬意や、感謝を忘れてしまうと言う事は起こりやすいと思います。
決してそんな事はないように、特に、自分のことを好いてくれているような人たちへの感謝は常に忘れないようにしないといけませんね。
知り合いが1人もいなかったところから始まったモントリオールでの生活で、これまで0から人間関係を構築してきて、このような当たり前のことに改めて、深く気付かされた気がします。
みなさんの考えや、意見も是非聞かせて貰いたいです。
ありがとうございました、ではまた次の記事で。